お客様の声

【インタビュー】オステリア信濃 様

【インタビュー】オステリア信濃 様

2018.09.27

お店を出すまでの経緯

高校生の時、中華料理屋さんで皿洗いのバイトしてたんですけど、そこのチーフに「草間ちゃん、料理やったらどう?」って言われたんです。勉強も本当に苦手で、別にやりたいこともなかったから、とりあえずやってみっかという感じで、この世界に入りました。だから特に「志」的なものは無かったですね。若い時なんて特に、いつやめるかしか考えてなかったな(笑)。

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松本の高校を出た後、縁あって大阪のお店で働くことになって25歳までは大阪にいました。料理を始めてから、何となく漠然と自分の店を持ちたいと考えるようになって。ほら、友達と飲んでると大体「将来お前の店ができたら呼んでや」みたいな話になるでしょ(笑)。本気で自分の店をやるって決めたのは確か24歳くらいの時で、「20代のうちにイタリアに行く、30代前半で店をつくる」っていう計画をたてて、とりあえずお金を貯めました。

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料理って、文化だと思うんですよ。だから、とりあえずちょっとイタリア住んでいろいろ見てこよう!みたいな感じだったんです。当初は1年の予定だったんですけど、なんだかんだ3年半も向こうに...(笑)。イタリアに行って初めて働いたお店で、シェフをやってたマウリッツィオっていうイタリア人がすごく僕のことを気に入ってくれて、もう少し残ってイタリアで働かないかってすごい熱心に誘ってくれたんです。3年半のうち2年半は彼と働いていたような感じで、本当に兄弟みたいな関係。僕の人生の中でかなり大きな出会いでしたね。
日本に帰ってきて2年くらいは、東京の店で働いていたんですけど、そこでお世話になったオーナーがまた面白い人で。ソムリエでもあり、料理人でもあり、何というかそういうくくりに収まりきらない感性豊かな人なんです。サービスやワインの知識から、グラスや器のセンスまでいろんな事を教えてもらいました。このお店での経験がなければ、「オステリア信濃」はもう少し違った形になっていたと思うくらい、影響を受けてますね。

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ある意味、料理ってどこでもできる場所を選ばない仕事なので、店をどこに出すかは結構悩みましたね。最初は大阪とか東京とかも候補で、実際街を歩いて物件を探したりもしてました。 松本って、すごい都会でもないし、すごい田舎でもない絶妙な街ですよね。新幹線はないけど、東京にいくのも大阪にいくのも利便性はすごくいいし、観光客も多いし。最近だとまつもと大歌舞伎とか、草間彌生展、クラフトフェア、あと小澤征爾さんの松本フェスティバルとか、1年を通して色んなイベントで活気づいてる。ひとが集まる街だと思うのでそういうところがいいですね。

ワークスゼロに決めた理由は?

ひとつは人ですかね。話していく中で、この人達なら任せていいかな、大丈夫だなって思ったのと、あとはデザイン。何社か相談して比べた方がいいって言う人もいましたけど、最初の提案が僕の中のイメージと合っていたし、直感で「あ、いいな」と思えたので決めました。
あるものに対して、相場の値段がどうだとか、こうした方が損だ、得だとかいろいろ考えがちですけど、僕は自分がそのものに対してこれだけの価値があるって納得できればそれでいいと思うんですよね。もちろん金額も大事だけど、「いいな」って思えることって、それが自分の価値観じゃないですか。
新井さんとの打合せは毎回どうでもいいバカ話で盛り上がって、すごく長引いてました(笑)。本当に細かいところまでいろいろ提案をしてくれて、僕が思ってた「こういうお店にしたい」っていうのの上を行ってくれた感じでしたね。

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お店をやっていく中で、一番大事にしていることは?

変な話、これだけは譲れない!みたいなのは僕、特にないです。なんでも譲っちゃうよ!(笑) 敢えて言うんであれば、単純にお客さんに楽しんでもらって帰ってもらいたいっていうのが根本ですかね。料理はもちろん、サービス、店のデザインや雰囲気も、そのためのものなので。あとは、せっかくこういうカウンターメインの店なんで、お客さんとのコミュニケーションを大事に!ありがたいことに僕のトークを気に入って通ってくれてるお客さんもいらっしゃるので、嬉しく思っています。

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